#エディターコラム 2022/04/20

【コラム】自分の生き方を模索しながら様々な女性の人生とふれあいたい―編集者ミイ

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“読者と編集者が一緒に作る”女性WEBメディアPRIMEの編集者ミイです。
仕事子育て趣味全てを諦めたくない30代後半のワーママ歴14年目。

PRIMEの運用を任され、同世代である30~40代女性の働き方や生き方、一括りにはできない女性のあらゆる選択と人生を肯定し応援できるメディア作りを目指しています。

今日はそんな私が、日本の少子化解決の鍵を握る当事者として、自身の経験から日々働く女性やワーママに寄せる想い、そこからPRIMEにかける想いなどを語らせていただきます。

新卒からワーママ時代まで社畜だった

私は、新卒で人材総合サービスのそこそこ大きな会社に入社しました。

超就職氷河期に数千人規模の会社から内定をもらったことは大変ありがたく、会社に何としても貢献せねばという思いひとつで15年間がむしゃらに勤めました。

その会社は超体育会系の男性社会。激務から結婚したら事務職であっても女性は寿退社していくような環境でしたが、私自身はそんな中で総合職としてバリバリの営業畑で育ち、仕事第一、売上第一の気付けば立派な社畜に育てられていました。

社会人のいろはを叩き込まれ、結婚、妊娠、出産もその会社で経験。私の社会人生のほとんどはそこで彩られており、社畜と書きましたが、今でも前社に対しては愛着を持っています。

何よりも私はそこの仕事が好きで、やりがいを持って精力的に働いていました。女性の中では全社的に見ても若いうちから昇進の話もいただいたりして、お客様と関係を築いたり、売上に貢献していく営業の仕事が楽しくて仕方ありませんでした。

すべてのキャリアが狂った第一子妊娠

私には長く付き合っていた男性がおり、彼と25歳で婚約をしました。

20代のうちに2人の子供にも恵まれ、周囲よりは早めに諸々のライフイベントを迎えましたが、私自身は20代での出産は身体面でも適齢だと思っていたので早いと感じてはいませんでした。

しかし、妊娠してみたら、社会はまだワーママを受け入れる土台ができていない過渡期。社員2000人を抱える会社でパイオニアとしてスタートしたワーママ生活は予想外のものでした。

 

まず待ち受けていたのは、これまでのキャリアのはく奪と簡単な業務への異動。事あるごとに、残業ができなことを持ち出されてしまう状況。もちろん昇進の話は立ち消え。今になって分かりましたが、当時たくさんのワーママがくらっていた「マミートラック」のど真ん中に私もいたのです。

それでも当時の私はそんな状況もワーママとして「当然」であり「仕方ないこと」と素直に受け入れ、なんとか前向きに日々過ごそうと、そして傷ついたプライドと自尊心を守ろうと葛藤しながら戦っていました。

また、これは私ならではの経験かもしれませんが、夫が日本の伝統芸能を生業にしており、産後復帰はまわりから見たら「腰かけ」「ご主人がお金持ちだから働く必要はないんじゃない?」と思われていた部分があったようです。

でも、当時夫は稼ぎも貯金もあまりなく、言うなれば駆け出しのフリーランス。
実情は、「私が世帯主となり収入を支えなければ」「私だけは正社員でいなければ」と必死でした。しかし、それを職場で口にするのは4歳から跡継ぎとして稽古に励んできた夫の歴史も家の名も傷付けてしまう。だからそうした勝手な視線にも明るく対応し、心の中ではひたすら我慢していました。(今では夫も安定した仕事の基盤を作り上げてくれています。)

結婚から15年近くたった今でも、職場で夫の職業について積極的に言及しないのは、そういう経験もあるのかもしれません。

そして、それは日本に蔓延る「女性は家庭を守るもの」というすり込みがこのようなかたちで偏見を生み、女性の社会進出を阻む一因にもなっているのだろうと実感しています。

 

そんなモヤモヤとともに過ごす中、結局は逃げるように2人目を妊娠。

今考えればとても不当な扱いでしたが、当時ワーママは遠慮して社会復帰する風潮がまだ残っていました。しかも私はパイオニアだったため仲間もおらず、そんな中で声を上げるのは無理でした。

それでも本来の前向きな性格で、やりがいを見つけながら1年ほど頑張りました。相互理解を得た同僚は増えましたが、肝心な管理職にワーママの働き方を理解してもらうには至らず単純作業に従事

そのうち可愛い子供を預けてまで毎日やってくる屈辱的な時間が耐えがたい時間となっていきました。

そこで、私はいずれ欲しいと考えていた2人目を意図的に早めることで社会的再起をはかったのです。

上司の評価と後輩から感じた時代の変化

2人目の育休明けはラッキーでした。

良くも悪くも新規事業の部署に配属され、さらに私の独身時代の上司が部署責任者になったため、私の仕事ぶりを信頼し、経験を活かす裁量ある業務を与えてくれたのです。

また、新卒社員をたくさん配属させたので、部署全体の考え方がフレッシュ。10歳以上下の世代は「ママが働くこと」は当たり前だと思ってくれている世代。ワーママとは一緒に働く人の考え方ひとつでここまで人生が変わるのかと実感した出来事です。それまでの配属先は「休まないこと」や「残業ができること」を良しとする価値観だったのだと思います。

そんな環境で5年ほどは大変有難い働き方が叶っていました。昇給や出世コースからは外れたままでしたが、すでに会社に期待することをしていなかった私は、経験を活かしながら働けることと精神的な負担がないことが何よりも一番だったのです。

しかし、順風満帆な環境を得て、さらに子供たちの小学校生活が安定してきた30代ど真ん中の時に、私は40歳までの転職を決意します。

死ぬ思いでようやく手に入れた安定したワーママ生活をそんな年齢で手放そうと思い始めたのは、長女の子育てが残り半分に差し掛かった頃、そして次女の育児のための時短勤務終了時期が見えてきた頃でした。

40歳を目前に大手企業からドベンチャーへ転職を決意―自分の人生を全うするため

振り返れば、私の社会人生活はあまりにもハードでした。

独身時代は6時前に家を出て22時過ぎに退勤なんてザラ。土曜も祝日も出勤する年間休日93日の仕事詰めの日々。

そしてワーママになってからも旧制度のため子供が1歳になった時点で復帰、さらに次女が3歳になってからの数年間はフルタイム勤務を余儀なくされていました。(制度が変わり数年後にようやく小3までの時短制度取得が認められました。)

フルタイム時代は、子供の顔をじっくり眺めたり、成長をゆっくり感じた記憶も、ワンオペ育児の毎日をどうやってやりくりしていたかも記憶が全くないほど毎日がめまぐるしかった。

今、その子供の成長を目に心に留めておかなかったこと、仕事を理由におざなりにしてきたことを私は人生で一番後悔しています。

だから次女が小学生になり、自分も40歳が近づくにつれ、いつの頃からかこれからの時間は自分にとって意味のある仕事をすることに加え、子供や家族との時間、自分のやりたいこと、自分の人生の全てを大切にしたい、どれも諦めたくないと考えるようになっていました。

 

子供のふとした姿をきちんとこの目におさめたい。
家族や大切な人達と寄り添って生きていきたい。
私だけの大切な喜びや楽しみを存分に堪能したい。

 

子供が生まれてからの私は、日々、いや一分一秒追われるたくさんのことを理由にそれらをスルーして、時に諦めたりしてきました。

また、出産したことで受けた社会からの理不尽な扱いも、「環境のせいにするのではなく、仕事も含めて自分が納得できる生き方は自分で選択しなければならない」と私に決意させた大きな一因となりました。

 

子供の音読の宿題を、慈しむ気持ちで聞いてあげられたことはあるか?
病院で余生を静かに過ごす祖父のもとにもっと足繁く通えたのではないか?
私が本当は一番好きなことを、いつか子供が大きくなったらと後回しにしていないか?

 

「今ある当たり前の私の気持ちを、当たり前のように生きる理由と糧にしたい。」

自分の中のその気持ちに気付いた結果、自分の人生を大切にすることについて本気で考え始めるようになりました。

そして40を目前にその境地に立ち、自分の人生を振り返り、残り半分となった子育てや残りの人生を考えた時から、もう止まることはできませんでした。

 

まず一番に考えるべきは仕事。

仕事をしているとどうしても仕事が生活や人生の主軸になってしまいます。でも、私は働くことも大好きで、仕事という形で社会とつながることも、お金を稼ぐことも大きなやりがいに感じています。仕事が生活の基盤になるというのはこの先も変えられない。家族との時間も結局は仕事次第。

だからまずは仕事を見直すことを考えました。

正社員で子供の年齢に関わらず時短勤務を認めてくれる会社、かつ経験を能動的に活かせそうな会社を探し、ありがたいことに全てが叶う今の会社に出会ったのです。

日本の少子化問題とは―ママを苦しめる風潮は15年前から変わっていない

当社のPURPOSE(目的と理念)は「マーケティングの力で日本の課題を解決する」なのですが、その中には勿論「日本の少子化問題」も含まれており、PRIMEはそこに最も近いメディアです。

仕事柄たくさんのママ達と接していますが、今乳幼児や保育園児を抱えるママ達が口にする育児の不安や辛さ、社会で感じるしんどさや理不尽さは、15年前の私が直面していたものとまったく同じです。

私自身は、意識せずとも「女性の社会進出」という言葉がなんとなく存在した時代に育ちました。実際社会に出てからも、自分も含め徐々にワーママが増えていった時代を目の当たりにしています。

しかし、女性たちが口にする悩みは昔も今も何一つ変わっていない。

ということは、少なくともこの10年以上、日本社会はこの問題に取り組んできたはずなのに根底をほとんど解決できていないということではないでしょうか。

「女性の社会進出」と「少子化問題」は不可分で、そこには家事や育児の問題も含まれます。

時短勤務など制度面は多少改善されているものの、そうした部分で苦しむ女性はいまだ多く、すべては女性ひとりひとりの葛藤の末、努力の上で成り立っているのが今の「女性の社会進出」の実体だと感ぜずにはいられません。

徐々に産後も働く女性は増えていますが、それは女性の価値観と覚悟が変化しただけ。

また、全体で見た時には男女ともに収入面での不安も大きく、共働きは当たり前だったり、そもそも子どもを作るまで至っていないケースもあります。

そんな多方面で不完全な状況の中、女性たちは働くこと、子どもを産むこと、産んで育てるという人生をかけた一大イベントの選択を迫られるのです。

 

女性学のパイオニアである東京大学名誉教授の上野千鶴子さんが放った

「どんなエリートの女性も子を持った途端弱者に転落する」

という言葉を私はずっと忘れられないのですが、社会的な転落のみならず日本の赤ちゃん連れの母親に向けられる不快感には最も恐怖を感じています。

電車内のベビーカーへの舌打ちにはじまり、妊娠中や子連れ女性に対する風当たり、逆手に取った暴力行為や痴漢などの犯罪まで。最近は子連れの男性がそれらを体験し、理解する人が増えてきているそうですが、パタニティハラスメントしかり先進国で子どもを持つ人がそんな経験をしていては日本の少子化は当然かもしれません。

そして自分がいざ母親として社会の一員になってみると、仕事や日常生活における産後女性を取り巻くそうした状況や、場合によっては当事者たちが割り切ってしまっている姿を目にすれば、若者たちが結婚や出産に足踏みしてしまうのも理解できてしまうのです。

一方で、出産や子育ては、それ以上に大きな幸せやポジティブなパワーもたくさん生まれます。

解決できない問題も未だたくさんあるけれど、「女性の社会進出」と「少子化問題」を語る上ではそうした側面も次世代にきちんと見せていかないといけないと、14年子育てと仕事に向き合ってきた今だからこそ強く感じています。

 

私の生きがいのネックになるものは私の一番愛するもの

突然ですが、私はK-POPと洋楽を中心に歌とダンスのエンタメが大好きで、推し達の現場を追いかけて世界中を旅するオタクです。世界のミュージカル、ゴスペル、アンダーグラウンドのラップバトル等も大好きです。

韓国はストリートミュージシャンからクラブDJに至るまでハマっており、今ではそんな海外の素敵なステージを追いかけながら毎月海外のどこかしらへ行くのが人生の楽しみ。言語の壁を越え、得てきたノウハウで命懸けで最前列に入り撮影したK-POPアイドルのステージをYouTubeにUPしたりしています。

各国の文化に触れ、オタクだからこそ叶う現地の人との交流が最高にエキサイティングなのです。

 

そんな海外遠征含めたアクティブな趣味を始めたのは6年程前。長女が小1、次女が年中の時です。

私にとって子供はとても大切です。子供が小さいうちは、彼女たちを置いて海外に行くなんて物理的だけでなく気持ちの面でも絶対できませんでした。

今では、彼女たちも成長し、喜んで留守番をしてくれるようになりました。しかし、そんな今の状況であっても、唯一無二の最高の瞬間に限って子供のことがふとよぎる。

最高に自分が幸せを感じる瞬間にさえ子供たちへの罪悪感がゼロにはならないという現実があります。

(それに関してはこちらのコラムで言及しています↓)

それでも私のここでしか得られない人生のときめきと輝きが間違いなくその瞬間にあります。それも私にとっては何にも代えがたい大切な経験と時間。

それを遂行するのに一番の壁は「家族」や「子供」なのです。
今でも私が好きなことをするのにネックになるのは一番愛している子供たち。

おそらく、それは私が彼女たちを心から愛しているからにほかならないのですが、母親という生き物が自分の好きなことを遂行するのは、愛情が深ければ深いほど物理的にもそして精神的にも一筋縄ではいかないのだなぁと14年経ってなお、実感しているところです。

それでも仕事、家族、趣味、すべてが満足に揃ってこそ私は私の人生を全うできる―。

人生の最後に後悔しないためには私も自分だけを大切にすることを捨てては絶対にいけない。

社会に貢献するビジネスマンであり、子供を愛する母であり、そして私は私にとって大切な「自分」なのだから。

まだ様々な葛藤を抱えながらですが、こうして自分を奮い立たせて、今日々をひた走っているところです。

自分の生き方を模索しながら様々な女性の人生とふれあいたい

さて、そんな経験を経て人生を再スタートさせようとする私が

「女性、会社員、ワーママ、ママ、アラサー、アラフォー、etc色んなスペックや壁を受け入れ、どう人生を後悔しないものにしていくか。」

そんなことを第二の人生のテーマにしようとしている時に、今の会社と出会い、さらに女性の生き方を応援するメディアに関わらせていただくことは大変光栄で、有難いことだと思っています。

こちらで私が長々と書き連ねたように、人の数だけ生き方、考え方があり、ストーリーがある。そしてそれはどれも正解でありかけがえのないその人だけの人生です。

私であれば、生まれてから青年期を経て、社畜時代、14年のワーママ生活、韓国文化や海外公演など…そこで得たすべての経験や知見ーそれらを「自分にしかない価値」「自分の属性やパーソナリティ」「得意分野」と前向きに捉え、掛け算することで普遍的で大衆的だった自分のあれこれをユニークで唯一のものにできるのではないか。

そして、そうしたカラーはきっと誰もが持っている。

ところが、一方で女性は結婚し、出産することで自分を失ってしまいがちです。それは出産と育児を主に担当する必然性と、大きな愛情からくる自己犠牲の精神にほかならないのですが、それも含めて本当に「自分の選択」なのか。その先にあるのは本当の笑顔と幸せなのか。

分からないまま、気付かないまま10年以上育児と仕事に費やしてしまう女性は多いと感じます。

また、私の世代は女性の社会進出の「中間の世代」なのです。
私たちより上の世代の働く女性は、いうなれば企業戦士ばかりだった。社会進出を果たし第一線で活躍している女性は、我々よりさらに厳しいフィールドで生き残った鉄の女たち。意識も高いバリキャリが多く、男性社会で男性に負けなかった人達です。

一方、下の世代となると、私達よりは売り手市場だったり、価値観として「ゆるキャリ」もOKな世代。

40歳を迎える今、上にも下にも共感できるロールモデルがいない。自分の50歳、60歳はどうなっているんだろう。誰でも一寸先はわからないけど、私達は「自分でもできそうな」ロールモデルが見つからない。

安定を好む女性にとって、子供を育てながらその道を探るのは常に不安と隣り合わせです。

そしてこの影響が私達世代には潜在的に実はあり、50歳、60歳になった時に働いていられるのか?収入を得られるのか?マミートラックの経験もあいまって、2人目、3人目をためらってしまう心理的側面が少なからず生まれてしまう。

またこうした不安を下の世代に見せてしまっていることも、若年層が子供を持つことにブレーキをかけてしまっているのではないかと思うのです。

だから私は色んな方のストーリーに触れることで、たくさんの気付きをみなさんと共有したいと考えます。聞き得た多様なストーリーをPRIMEで発信させていただくことで、伝えようとするものが誰かの人生を肯定し、誰かのヒントとなり背中をそっと押す役割を担えたらー

そんな思いで、メディア作りに関わらせていただいています。

 

<ライタープロフィール> タピオカあさみ
30代/K-POPファン歴16年/歌とダンスのエンタメが大好きで月イチでK-POPの海外公演に行くことが生きがい/仕事も子育ても自分の好きなことも全部諦めずに楽しい毎日を送ることが目標のワーキングマザー

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